2010年02月11日
ポニョ論 その2
前の記事のつづきなんですが…
「ポニョを見ると、怖い、違和感がある」
という意見があるといいます。
私が以前引用した記事の最後にも、
一般的には「母親とは無条件に優しいもの」というイメージがある。
そして常に完璧さが求められがちだ。
しかし宮崎駿の提示する「母性」とはまるで海のごとく、
時に優しく、時に荒々しい、気まぐれで得体の知れないものなのだ。
『崖の上のポニョ』という作品の持つ不気味さとは、
決して都市伝説的な「死の恐怖」ではない。
むしろ我々が普通に抱いている「母親とは無条件に優しいもの」
という前提条件が覆される不気味さなのだ。
…なんていうことが書いてある。
まあこれが多数派の意見だとは思いませんが(笑)
ちょっと私なりのスピリチュアル的な見解をひとつ・・・
これは、既存の価値観がどんどん崩れていく過程での、
その「古い価値観」にしがみつく人間の潜在的な恐怖なのでは?
と思います。
ここ数年で、これまであった色々な価値観が崩れだしています。
いい学校を出て、いい会社に入れば一生安泰だとか。
社会が理想とするレールに乗れば、幸せだとか。
正社員になれば、一生安全に過ごせるとか。
その他にも、社会的な変化はきりがないほどで、
それらが表面的には、人々を苦しめている。
でも、この変化じたいは、悪いものではない、と私は思います。
だって、何をしても安心ではないからこそ
ハートが求める幸せに向かって、邁進し続ける勇気が湧いてくる。
人が考える「こうするべきだ」という生きる基準が消えるからこそ
自分が、「こう生きたい」という思いを、本気で考えられる。
そう思うからこそ、
私は自分がこういう時代に生まれて、本気で幸せだと感じる。
でも、「人に自分のいく方向を決めてもらった方が楽だ」
と感じている人には、生きにくい時代になりましたね。
それが、私のいう「既存の価値観が壊れることへの恐怖」です。
でも、時代はもう元には戻らない。
アニメをはじめ、世の中のいろいろなアート(音楽など)も
暗にそういったメッセージを、見えない世界から運んでくれています。
主人公の宗助の家族は、エゴとか「こうあるべき」ではなく、
愛を軸にして結ばれている、新しい家族のかたちです。
母のリサは、「母はこうあるべき」ということ囚われず自然体で、
時には頼もしく、でも、時にはひとりの人として、
ぶんむくれたりもする(笑)
宗助の両親は、宗助を「取るに足らない子供」「自分の所有物」ではなく
ひとりの人間として、愛を持って接しています。
ポニョが人間になりたかった理由は、
「ポニョ、そうすけ、すき!!!」
それだけです

これ以上の説明など、いらないかもしれない。
新しい時代は、人に羅針盤をあずけるのではなく
自分のハートが、自分の行き先を決めてくれるのです。
自分・子供・親・夫婦・家族・しごと・政治・社会・・・・・・
すべてにおいて、「〇〇はこうあるべきだ」
という基準にとらわれると、心が苦しくなります。
ハートを解放して、愛だけで物事に接すると
世界は、その瞬間に楽園に変わる
これまでのやり方(エゴ、世間体が決めるやり方)はうまくいかないのです。
だからこそ、そのやり方で成功してきた(もしくはどっぷりつかってきた)
人たちは、恐怖するんだと思います。
でも、どうか怖がらないで欲しい。
世界は、神は、あなたを愛している。
心から、あなたが満たされることを望んでいる。
だからこそ、時代は変わった。
心という扉をあければ、誰でも楽園が待っているから。
だから、みんな早く、こっちにおいで
私のしごと(カフェも、ヒーリングも)は
すべて、そのお手伝いの一部だと
そう思っています。
愛をこめて
おわり☆
------------------------------------------------------------------
つくばのスピリチュアルヒーリングルーム
Atelier Pallete -パレット-
http://atelierpallete.web.fc2.com/index.html
只今、学生さん向けの就活応援キャンペーンやってます。
詳しくはコチラをご覧下さい☆
mokkun_cafe@yahoo.co.jp
090-4758-8775
電話は本名の「川村」で出ます。
本業のお店が忙しいときは、出られないこともあります。
「ポニョを見ると、怖い、違和感がある」
という意見があるといいます。
私が以前引用した記事の最後にも、
一般的には「母親とは無条件に優しいもの」というイメージがある。
そして常に完璧さが求められがちだ。
しかし宮崎駿の提示する「母性」とはまるで海のごとく、
時に優しく、時に荒々しい、気まぐれで得体の知れないものなのだ。
『崖の上のポニョ』という作品の持つ不気味さとは、
決して都市伝説的な「死の恐怖」ではない。
むしろ我々が普通に抱いている「母親とは無条件に優しいもの」
という前提条件が覆される不気味さなのだ。
…なんていうことが書いてある。
まあこれが多数派の意見だとは思いませんが(笑)
ちょっと私なりのスピリチュアル的な見解をひとつ・・・
これは、既存の価値観がどんどん崩れていく過程での、
その「古い価値観」にしがみつく人間の潜在的な恐怖なのでは?
と思います。
ここ数年で、これまであった色々な価値観が崩れだしています。
いい学校を出て、いい会社に入れば一生安泰だとか。
社会が理想とするレールに乗れば、幸せだとか。
正社員になれば、一生安全に過ごせるとか。
その他にも、社会的な変化はきりがないほどで、
それらが表面的には、人々を苦しめている。
でも、この変化じたいは、悪いものではない、と私は思います。
だって、何をしても安心ではないからこそ
ハートが求める幸せに向かって、邁進し続ける勇気が湧いてくる。
人が考える「こうするべきだ」という生きる基準が消えるからこそ
自分が、「こう生きたい」という思いを、本気で考えられる。
そう思うからこそ、
私は自分がこういう時代に生まれて、本気で幸せだと感じる。
でも、「人に自分のいく方向を決めてもらった方が楽だ」
と感じている人には、生きにくい時代になりましたね。
それが、私のいう「既存の価値観が壊れることへの恐怖」です。
でも、時代はもう元には戻らない。
アニメをはじめ、世の中のいろいろなアート(音楽など)も
暗にそういったメッセージを、見えない世界から運んでくれています。
主人公の宗助の家族は、エゴとか「こうあるべき」ではなく、
愛を軸にして結ばれている、新しい家族のかたちです。
母のリサは、「母はこうあるべき」ということ囚われず自然体で、
時には頼もしく、でも、時にはひとりの人として、
ぶんむくれたりもする(笑)
宗助の両親は、宗助を「取るに足らない子供」「自分の所有物」ではなく
ひとりの人間として、愛を持って接しています。
ポニョが人間になりたかった理由は、
「ポニョ、そうすけ、すき!!!」
それだけです


これ以上の説明など、いらないかもしれない。
新しい時代は、人に羅針盤をあずけるのではなく
自分のハートが、自分の行き先を決めてくれるのです。
自分・子供・親・夫婦・家族・しごと・政治・社会・・・・・・
すべてにおいて、「〇〇はこうあるべきだ」
という基準にとらわれると、心が苦しくなります。
ハートを解放して、愛だけで物事に接すると
世界は、その瞬間に楽園に変わる

これまでのやり方(エゴ、世間体が決めるやり方)はうまくいかないのです。
だからこそ、そのやり方で成功してきた(もしくはどっぷりつかってきた)
人たちは、恐怖するんだと思います。
でも、どうか怖がらないで欲しい。
世界は、神は、あなたを愛している。
心から、あなたが満たされることを望んでいる。
だからこそ、時代は変わった。
心という扉をあければ、誰でも楽園が待っているから。
だから、みんな早く、こっちにおいで

私のしごと(カフェも、ヒーリングも)は
すべて、そのお手伝いの一部だと
そう思っています。
愛をこめて

おわり☆
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Posted by もっくん at 00:42│Comments(0)
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